煙草がつくる時間が好きだ。
私は喫煙者じゃない。
煙草は吸わないし、吸った経験もない。吸いたいか、と問われれば人生で一本くらいならいいかなと思う程度。高身長のためか、雰囲気のためか、何故か大人になったら煙草吸ってそうだよねとよく言われる。さっきも書いたとおり、喫煙者になる気はないのに、ね。
ただ、知り合う人は喫煙者が多い。高校を卒業してからは特にそんな気がする。
部活の監督は喫煙者だし、バイト先の社員の男性も喫煙者。SNSで知り合う人も喫煙者の割合は高い。煙草は吸わないだろうなぁと思っていた友人も今じゃ立派な喫煙者だし、最後に付き合った人も喫煙者だった。
そのためか、喫煙者じゃないくせに煙草の銘柄は友人より多く知っているし、喫煙可能なお店に勤めていたこともあったから煙草の匂いも嫌いじゃない。好きとまではいかないけど、隣で吸わないでくださいというほどではない。
それは、もしかしたら、私が煙草がつくる時間が好きだからかもしれない。
「ちょっと吸いたいから、ここの道を通ってあっち行かない?」って言葉から作られる小さな寄り道が好きだし、「これ吸ったら行こうか」って言葉から生まれる時間も好きだ。父がお酒の席で言う「これ飲んだら行こう」が好きなのと同じ感覚。もう少しこの時間が続くんだっていう嬉しさがある。
お酒に氷がゆらゆらと溶けてゆくのをゆったり見つめる時間と同じくらい、相手が吐いた煙がふわっと消えてゆくのを見つめる時間が好きだ。
さらに言えば、お互いが同じ煙を見つめていたなら私はもっとその時間が好きになる。その人の気持ちや心が、なんだか目に見えるような、でも、目に見えないような、そんな感覚がたまらなく、どうしようもなく好きだったりする。
煙草に火をつける瞬間。
煙草の煙の数分間が始まる瞬間。
少し冷たいような、寂しいような、悩みや日常の憂鬱が混ざったような、でも、なんだかライターの炎みたいに少し温かいような。そんな空気に包まれる瞬間が私は好きだし、どうしても、愛おしいなぁと思ってしまう。