ホーム、髪、アイス。
何から話そうか。
梅雨が明けたあの日。 君に連絡をした。 君は覚えてるかな。
「来週会いに行くから。」って。
夏になったら、なんて言って、本当は会うのが怖かった僕は、一夏のなんとやらにでもなって仕舞えばいい。 そんな軽い気持ちで連絡をした。
今思えばなんだかかっこ悪いなって思う。 君はかっこいいだなんて言って笑ってくれてたけどね。
あの電車はこの東京を16時10分に出る電車だった。 君は覚えてるかな。 「一緒に夜ご飯を食べれる時間じゃない?」って君は嬉しそうに、電話の向こうで笑ってた。
あぁ、この笑い声を少しのタイムラグも無しに聞けるんだ って、東京駅のホームで考えたことを今でも覚えてる。 これ、君には最後まで言わなかったけど、僕だけの秘密にしてたこと。
それから、僕は新幹線に乗って君に会いに行った。
流れていく街を見ながら、君の元へ行ってるんだって、君に会いに行ってるんだって実感してたんだ。 新幹線乗ってるんだから今思えばそれも当たり前のことなんだけどね。 それにさ、僕の住む場所よりも、君の住む場所の方が日の入りが遅いって知ってた? 頭のいい君のことだから、当たり前じゃんって笑うんだろうけど、あれってすごいよね。 なんかさ、まるで夜が来ないんじゃないかって気持ちになるんだ。 君がこっちに来るようなことがあったら、君は夜が早く感じるのかなって、電車の中で考えてた。
そのあとは…そうだな、改札の外で待つ君を見たとき、あぁ僕は君に会いに来たんだって思った。 って言ったら、きっと君は、何言ってるの?っていつもみたいに笑うんだろうけど、この笑顔に会いたかったんだ って思ったんだ。 思ったというより、あのとき、わかった。 そんな気がした。 君は遅いからアイスとけちゃった って不服そうだったね、あの時はごめん。
それで、会っていろんな話をしたよね。 でもさ、こんなことを言ったら君は拗ねちゃうかなって思うんだけど、君からもらったあの言葉は三日も経てば忘れてしまってたんだ。 こんな内容だった ってことは思い出せるのに一語一句ちゃんと思い出せなかった。 君がする微妙な抑揚の取り方とか、呼吸のタイミングとか、あの言葉の語尾とか。 あぁ、僕は思い出せないんだなぁって思った。 こんなに好きだなぁとか思うのに思い出せないの、本当に馬鹿みたいだよな。 言葉だけじゃない。 髪の匂いも、笑うと可愛さが増すあの声も、思い出せなかった。 情けないよな。 情けないよなっていうか、情けないって思う、自分で。
そんな僕だから。
そんな情けない僕だから会いに行きます。
来週末の金曜日、21時23分東京発の新幹線で。
これを君はどんな顔で読んでいるかな。
教えるのが遅いの、ばか なんて頰を膨らまして言ってるかな。 それはそれでなんかいいな。
でも、これは嘘でも冗談でもないから。
今回は、ちゃんとアイスがとけないうちに会いに行くから。
だから、君はアイスを食べながら待っててほしい。 あの日と同じ大好きなアイスを食べながら、あの日と同じ あの改札の前で待っててくれたら、僕は嬉しいです。
愛、ドラマ、烏龍茶。
「何から話そうか。」
あなたはうつむきながら、小さなため息を少し混ぜたような声でそう言った。
私は黙ってあなたの言葉を待つ。 私は怒るでもなく、悲しむでもない。 どうしようもないこの状況にただ立ち尽くしていた、心の中で。
人生においてドラマのようなことは起こらない。 今から私が怒鳴って出て行って、それをあなたが追いかけることはきっとない。 私がここで泣きじゃくって、あなたがただただ困って「ごめん」というお決まりの文句を何十回と言うこともきっとない。 いつだって現実は、淡々と進んでいく。 私たちは別に、ドラマの中の登場人物でもないし、ヒロインでもない。
「僕たちってこれからもやっていけると思う?」
少し間をあけた後で彼はそう言った。 あなたは、いくら考えても、考えても、きっと真っすぐ私に言葉をかけてくる。 それを私は知っている。 それがたとえ、愛を伝える言葉だったとしても、謝罪だったとしても。
「どうだろう。 ある人は“そう思った時点で、二人の関係は終わっている”と言うし、またある人は“そう思ってからが二人の関係の始まりだ”とも言うよね。 まぁ、私は前者の立場だけど。」
大して興味がないような目をきっとしていた。 少し右下を見つめながら、あなたの目も見ずに。
「そっか。」
小さな返事の後で、彼は「じゃあ、別れようか。」と言ったし、私は反論することもなく「うん。」と言った。 「そうだね。」とも。 私が飲んでいたアイスティーはもうすでにぬるくなっていて、あなたが飲んでいたホットコーヒーの湯気はもう見えなくなっていた。
愛の仕組みなんてわからない。 お互いに似ていって一緒にいれば、安心だってする。互いの温度は一緒になっていく。 それは悪いことなのだろうか。 冷たかったアイスティーはぬるくなったら美味しくない。 ホットコーヒーだって同じ。 人間であり、恋人同士だった私たちも、結局は同じようなものだったのかもしれない。 私の大部分は水分でできている。 別に同じだと言われてもしょうがないのだろう。 現実、きっと同じようなものだ。
あなたがホットコーヒーを飲む。 私がアイスティーを飲む。 これを飲み終えたとき、きっと私からでもなく、あなたからでもなく、どちらからというわけでもなく、帰る支度をするのだろう。 お互いに飲んでいるのに、まるで飲んでいないのか、と思うくらい残っていた飲み物は私たちのだらだらとした時間を物語っていた。
「烏龍茶ってさ、」
そう話を切り出したのは私だった。 この空気に耐えられなくなったのと、彼の少し開いているリュックから烏龍茶のペットボトルが見えたからだった。 だからと言って、なんか面白い話があるわけではない。 名前の由来は、茶葉がカラスみたいな色をしていて龍みたく曲がっているからだという、昨日たまたま読んだ説をただ話そうと思っただけだった。
「烏龍茶ってさ、なんか君みたいだよね。」
「え?」と驚く私に彼は笑った。 どうせなら、おしゃれなカクテルの方が良かった。 そもそも、烏や竜なんて字のつくお茶みたいだなんて言われるとはなぁ、と考えながら、あなたの言う意味は私にはやっぱりわからないままだった。
「苦いのに、なんか嫌いになれないんだよね。 少し喉に残るかんじもあるのに、ソフトドリンクというといつも頼んじゃう。 この名前もなんでか好きなんだよなぁ。 って、意味わかんないか、ごめん。」
そう言って、苦笑いなのか照れ笑いなのか、よくわからない笑顔を浮かべるあなたは、少し泣きそうだった、と思う。 よく考えてみれば、あなたの泣いている姿を見たことがなかった私には、それがそうなのかすらわからなかったのだ。
彼がもうホットとは言えなくなったただのコーヒーを飲み干す。 それにつられるようにして、私もアイスとは言えなくなったただのティーを飲み干す。 グラスから目を離すと、もうあなたはいつも通り、よく笑うあなただった。 きっと頰を伝うはずだった感情までも、飲み込んだのだろう。
「それじゃあ、行こうか。」
そう笑うあなたは、やはりあなただった。
あなたと駅でお別れをする。 振り返らないあなたに「ありがとう。」と一言だけ呟いて、近くのベンチに腰をかける。
彼と別れてから買った139円の烏龍茶を開けて飲んでみる。 味も名前も嫌いだった飲み物。きっとあなたはそれを知らなかったのだろう。 そこが、本当にあなたらしい。 一口飲んで、蓋を閉める。
「あんなにも嫌いだったんだけどなぁ。」
呟いた言葉は、音でしかない。 音にしかならない。 残らない。
言葉が目に見えなくてよかったなぁと思いながら、感情で濡れた頰を隠すように、烏龍茶のペットボトルを頰に当てた。
ただただ、その冷たさが心地よかった。
煙草がつくる時間が好きだ。
私は喫煙者じゃない。
煙草は吸わないし、吸った経験もない。吸いたいか、と問われれば人生で一本くらいならいいかなと思う程度。高身長のためか、雰囲気のためか、何故か大人になったら煙草吸ってそうだよねとよく言われる。さっきも書いたとおり、喫煙者になる気はないのに、ね。
ただ、知り合う人は喫煙者が多い。高校を卒業してからは特にそんな気がする。
部活の監督は喫煙者だし、バイト先の社員の男性も喫煙者。SNSで知り合う人も喫煙者の割合は高い。煙草は吸わないだろうなぁと思っていた友人も今じゃ立派な喫煙者だし、最後に付き合った人も喫煙者だった。
そのためか、喫煙者じゃないくせに煙草の銘柄は友人より多く知っているし、喫煙可能なお店に勤めていたこともあったから煙草の匂いも嫌いじゃない。好きとまではいかないけど、隣で吸わないでくださいというほどではない。
それは、もしかしたら、私が煙草がつくる時間が好きだからかもしれない。
「ちょっと吸いたいから、ここの道を通ってあっち行かない?」って言葉から作られる小さな寄り道が好きだし、「これ吸ったら行こうか」って言葉から生まれる時間も好きだ。父がお酒の席で言う「これ飲んだら行こう」が好きなのと同じ感覚。もう少しこの時間が続くんだっていう嬉しさがある。
お酒に氷がゆらゆらと溶けてゆくのをゆったり見つめる時間と同じくらい、相手が吐いた煙がふわっと消えてゆくのを見つめる時間が好きだ。
さらに言えば、お互いが同じ煙を見つめていたなら私はもっとその時間が好きになる。その人の気持ちや心が、なんだか目に見えるような、でも、目に見えないような、そんな感覚がたまらなく、どうしようもなく好きだったりする。
煙草に火をつける瞬間。
煙草の煙の数分間が始まる瞬間。
少し冷たいような、寂しいような、悩みや日常の憂鬱が混ざったような、でも、なんだかライターの炎みたいに少し温かいような。そんな空気に包まれる瞬間が私は好きだし、どうしても、愛おしいなぁと思ってしまう。